2012年04月06日

サークル紹介

今日はサークル紹介ですね!

それと関連して、同日開かれる、ある講演会について大情研の発行する『大乱調』第11号の「希望していなかった大学に絶望する時」という文章の中で、取り上げています。

その文章はなかなか癖の強い形式で書かれているので、ここでは最も伝えたい内容をその文章から抜粋して、伝えたいと思います。長い引用になりますが、是非読んでみてください!




4月6日、『新入生のための「差がつく」大学生活の送り方―4年後後悔しないコツ!明かします―ガイダンス』という、ありがたいお話を聞ける機会がある。目立つ看板が南門に張り出されているのを読者の方も見たのではないだろうか。

さて、何において大学生活で「差がつく」のだろうか。ビラには、登壇者の紹介として、一番上に大きく有名企業名が載り、その下に学部が記載されている。在学中彼らが何をしたかはそのビラでは一切読み取ることはできない。分かるのは、企画者にとって「差がつく」のは学生の「就職先」においてであり、大学で充実した活動を行ったか判断される材料は、「就職先」ということらしい。いや充実してなくても「就職先」がよければ、「差がついた」ことになるのだろうか? まるで「学部生は、大学のことなんていいから、就職の事を考えなさい」と言わんばかりである。



(なぜこのことを取り上げたのか、について)

同日に「サークル紹介」が行われるからだ。サークル紹介とは、首都大の各サークルが、一同に会し、教室等にブースを設け、新入生の勧誘を行う恒例行事である。

ただ残念ながらサークル活動は重視されていないようである。例年使えるはずの1号館120教室は例の講演会が使うようだ。授業のガイダンスならまだしも、就職という大学を出る時の話のために、大学における活動の広報をすることが制限されるというのはなんとも滑稽である。繰り返し言おう、まるで首都大学東京当局は、「学部生は、大学のことなんていいから、就職の事を考えなさい」と言っているようだと。大学において就活について一切考えるなとまでは思わないが、講演会がこの日、この場所で開かれることは、大学の自己否定のようにみえる。正確には、大学の自己否定の肯定だろうか。



看板となる大学の門に面する、大学の教室である120教室が使えないのは学生にとって大変痛いことである。講演会は、6号館などを使うこともできるはずだ。



これでは、学生がより大学に目を向けなくなるのではないか。大学にいることへの希望を学生が持つことができず、大学を通過点としてしかみることがなくなってしまうのではないだろうか。

…  』

(「希望していなかった大学に絶望する時」大乱調第11号より)



大学の機能として、就業支援は必要なのかもしれません。しかし、大学について伝えようとしているときに、その中心では大学生活を企業名で語る講演会が開かれることに、違和感を覚えます。野暮というものでしょう。サークル紹介は、新入生はわくわくと、上級生の必死さが交差するとても楽しい日なはずです。大学の別の顔を見るいい機会です。

要するに

だから、こんな講演会など行かず、「サークル紹介」に来ることをオススメします!!

(講演会行った人も是非、来てね!)

気球真二
posted by 大情研 at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

就活、就活デモについて考える

どうも、P.Qです。明日は、勤労感謝の日。それに合わせて? 「就活ぶっこわせデモ」が新宿であるそうです。
私は大学生にとって就活とは何だろうと思うことがあります。
明日、私はデモに行けず、そこで就活について何かいうことはできないので、とりあえず、このデモと就活のことで考えたことを書いておこうと思います。



 私は、就活は昔からあっただろうとぼんやり考えている。
 では、なぜ今就活デモが開かれるのか。どのような意味があるのか。

 それは、就活に対する見方が変化しているからではないか。
 就活を終えて企業に入ることができれば、終身雇用が保障された時代とは異なり、今は例え「つらい就活」をしても就職できなかったり、できたとしてもリストラの恐怖は続く。
 
 一方で、就職はある意味「高度化」している。
 学生に自己分析をすること、企業研究に多くの時間を費やすことが奨励されること、多くの就活サークルがあることに見られるように就活の研究が行われている様子をよく耳にする。
 それは、未来が分からなくても、職は得なければいけないという状況に、追い詰められながらも生きようとする学生のあり方、処世術のように思える。
 
 つらい就活が拡大していくなかで、就活デモが出てくるのは当然の反応といえるだろう。
 就活デモは、今ある就活のあり方を見直すべきあり方として批判的に問い直す。
 就活に疑問を呈すること、既存の就活を変えようとすることで、多様な就労の仕方、生き方があることを示している。

 
 就活により学生が受ける影響が大きい今こそ、就活を行う学生、また大学、企業は、一度就活について立ち止まって考える必要があるのではないか。
 就活デモは、その思考の場を作り出している。

posted by 大情研 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

夏休みの読書感想文〜

お久しぶりです。
大乱調9号をなんとか発行して夏休みに入り、
ずっと活動がなかったのですが、ひさびさ今週末、学習会があります!
その準備もあって、本を探したりしてた中で1冊紹介します〜

矢野眞和 著『「習慣病」になったニッポンの大学 
18歳主義・卒業主義・親負担主義からの解放』(日本図書センター)

 著者は日本の教育改革は教育の理想を述べたりする精神論や大学に評価を義務づけたり、理念を実現するための法制度の整備を行う制度論が先行して、教育に対して、人、物、金、時間などを投入し配分する政策を行うことを論ずる資源論の議論が少なかったとしています。
そして教育を支える資源は教育の成果に重要な影響を与えるため、資源論がまず論じられるべきだとしています。
 また、日本の大学が社会からみて、重視されなかった理由を日本的家族、大学、雇用システムに基づいた「日本的大衆大学」(18歳主義・卒業主義・親負担主義)の構造が原因であると論じています。
 解決策として、多くの人が大学教育を受けることによる社会的効用を説明することで、大学に公的な投資を行うメリットがあることを述べ、様々な形で大学で学べるような政策(学費の負担の公的部分を引き上げるなど)を取るべきだとしています。

本当にざっくりとした紹介でしたが、その上で僕の感想を少し述べておきたいと思います。

 まず、大学改革と呼ばれる大学を法人化したり、評価を義務付けたりする制度論と大学への資源配分などの資源論とを明確に分けて論じることは重要だと思いました。このように考えると、大学を法人化して、大学への資金を減らすということは大学に資金を獲得させるためというよりも、高等教育へ重点を置くのをやめることであるように見えます。
 また、大学の問題を真っ向から経済面で論ずる見方はあまりないので面白いです。どこかしらで大学を論ずる時には理想の大学像を想定しがちのように思いますがこの本では、そうした部分よりも社会に大きな効用をもたらす大学として論じられている特色があると思います。
その上で、浮かんでくる疑問は「大学である意味があるのか」という点です。
教育研究を通じての真理の追求を標榜する大学というよりは、社会のシステムとして大学が必要である、大学に投資することは有意義だ、ということが中心に論じられているので、大学じゃなくても高等教育機関であればいいのではないか?という疑問が湧いてきます。
これについても資源論を解決してから、大学分化が必要であれば、その制度論を行っていくべきということなのでしょうか。
ちなみに僕は、大学に様々な年齢の人が通うようになったらそうした分化は慎重に検討すべきであると思いますが。
 また、昨今の大学改革への著者の態度に対して若干の疑問があります。
大学改革で行われている制度に対し一定の評価をしているように見える著者ですが、資源論→制度論ではなく、制度論→資源論の「改革」への批判は、あいまいな気がします。
例えば、大学の評価や自己点検に関して、それ自体を著者は批判していないように思われますが、十分な時間や人が確保されていない中、そうした評価を行っても教員等の負担が増えるだけで、効果をあげるようには見えません。そうした場合、その事例自体を十分に批判すべきではないでしょうか。

以上、読書感想文でしたー。興味深い本でした。
P.Q




posted by 大情研 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

パレード? に行ってきた!!

先日、なにやらパレードなるものがあるという話を聞き、法政大学の多摩キャンパスに行ってきました!!

画像-0005.jpg

横浜線の相原駅からバスで15分、学内に大きな橋があったりする広大なキャンパス。
日差しがカンカンの中、なにやらそれらしき集団を見つけました。
パレードだったはずなんですが、その場でやっていて、集会みたいな感じでした(今度やるときは是非歩いてほしい!)。マイクを使ってなにか周りの人に声をかけて何か言ってもらったり、「トイレを変な形にするくらいならバスをタダにしろ」とか、「原発怖い」とか「朝起きられない」とか…好きに叫んでたりしてました。
パーカッションや管弦楽器などの音楽もその周りでやっていて、それが場を盛り上げていました。
主催者の方によると、サウンドデモと江戸時代の「ええじゃないか」って言うのに着想を得て、大学という場で何かできることはないかということで開催したそうです。またパレードと合わせて討論会も同日に行われたそうです。

なにか発したりして、自分の中にあるものを吐き出している姿はとても楽しそうでした! 
千葉大や早稲田大でもこのようなイベントが行われているそうです。反原発の広がりの中で、大学でも何かやりたい、発さなきゃいけないんじゃないかっ! という認識があるのではないかと思いました。
自分たちでなにかやってみよう! っていうのがいいなぁ、すごいなと思いました。ただ、炎天下! 今後は日焼けには注意しようっと。今日、ヒリヒリです。

P.Q
posted by 大情研 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

教員任期制、経営は民間から…

以前、冊子『大乱調』で扱った内容と関連して記事紹介をしたいと思います!

『チェック機能強化 新生環境大、法定協を設置』(日本海新聞 2011年5月26日)

教員任期制、経営は民間的手法…

どこかで聞いたことのあるような言葉…。これからの大学はこれを「改革」として掲げていかなければいけないのだろうか。
 鳥取環境大学は経営悪化から私立大学から公立大学への移行を進めている大学である。
以前『大乱調』で、この鳥取環境大学が公立化することに関して、賛成の論が展開された。
 
 教員任期制は、はっきりとした実績を残しにくい基礎研究や文系の学問の研究者は十分評価されない可能性があり、応用的な研究をする理系学問には有利に働くように思われる。その結果、応用的な学問に資金が集まり、研究者もそうした研究への志向を強めるかもしれない。
 また、評価する機会の増加によって、教員の事務的な負担が増え、研究に十分集中できないであろうことも考えうる。
 
 経営の民間化は、難しい問題だ。確かに削減できる費用はあるかもしれない。研究とあまり関係のない設備の入札などは行っていくべきであろう。しかし、経営が民間化することによって、さきほど述べたような偏った資金配分や学部自体の廃止によって、教育・研究が十分に行われない、または教育・研究する場自体を奪われる可能性がある。
 しかし、効率化を推し進めるために、学問研究の場である大学、学部を奪ってしまっては元も子もない(例 首都大学東京、現在の大阪府立大学の改革の流れなど)。
 
 大学は学問教育・研究の場であり、利益をあげる場ではない。企業とは性質の異なるものだ。
そうした意味で、鳥取環境大学を地域の知的基盤として維持するべきではないかと考え、公立化に賛成の立場を述べた。今行われている、ありがちな「改革」に賛成するわけではなく。
 
 こうした「改革」をしなければ、大学は存在できないのだろうか。
大学がいかに役立つのかを考えるのではなく、大学がどのような場であるかを考える必要がある。


まぁ、そんなことをネットラジオでもしゃべったりしてます。前回の放送の再生数はあれでしたけど、聞いてくれた方への感謝を忘れず、これからも伝えていこうと思います。
これからもよろしくお願いしますw

P.Q
posted by 大情研 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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